参考資料

発足

 (みんよりの政治亡命者で光圀公の師、朱舜水が松岡(高萩市)を訪れ、「この地異気あり、必ず後世偉人出づべし」と言われたという伝説がある。その偉人の一人が長久保赤水と言う訳で、地元松岡小学校の遠足コースには赤水先生墓参が組み込まれていた。

 しかし戦後はそれも消滅し、心の空白が長く続いた。近年ようやく歴史教育の重要性に目覚め、有志の間で、再び赤水先生に光を当てようという気運が盛り上がってきた。

 歯科医院長若松健一氏の音頭で、1992年(平成4年)4月8日夜、大崎宥一画伯邸へ数名が集まり相談したのが第1回発起人会だった。

 11月6日、高萩市中央公民館にて「長久保赤水顕彰会」発足。発会式の看板は神長貞之氏の揮毫による。

 予想通り6、70名が参加。121名の会員となる。来賓 大久保清市長、篠原新一郎市議会議長、石井満市教育長。長久保源吾兵衛氏の謝辞。主催者挨拶大崎宥一会長「前向きの姿勢で進みましょう」。江尻光昭理事「資料等を発表せずに秘蔵しておいてはなんにもならない」と。また、赤水親子の貧民救済の話を披露した。

 

 

赤水略歴

1717年11月06日 赤浜村農家に生れる。
1727年05月30日 父と死別。これまでに弟、母とも死別。これより継母お咸に愛育される。
1730年 14歳頃、隣村鈴木玄淳塾に通い始める。良友柴田平蔵を得る。17、8歳頃江戸短期遊学、服部南郭(はっとりなんかくに学ぶ。
1738年 水戸藩名越南渓の教えを受ける。栗野村(北茨城市)の庄屋となる。翌年23歳で、またいとこ順と結婚。
1748年 石城(福島県)の寺で論語の講義。
1753年 学友(松岡七賢人)と共に水戸藩より表彰される。(漢詩)
1760年 東北地方への旅へ。7月出発。
1767年 漂流民引取に長崎へ。9月出発。清国人学者たちと漢詩の交換
1768年 12月25日 学問の功により水戸藩の郷士(武士待遇)となる。改製扶桑(日本)分里図完成。
1773年 10月 芻蕘談(すうじょうだん』を著す。
1774年 02月 京、大坂に旅し、知名の学僧、諸学者を訪ねる。(大典禅師、柴野栗山、皆川淇園(きえんなど)
11月 大坂にて『天象管闚鈔(てんしょうかんきしょう』を著す。
1775年 03月 新刻日本輿地路程全図』柴野栗山の序を入れて完成。
1777年 11月10日 抜擢(ばってきされ藩主の侍講となる。江戸小石川の水戸藩上屋敷に常住。
1778年 農民疾苦』を命がけで藩主に上呈する。「再改め」廃止。農政改善第一歩。
1780年 改正日本輿地路程全図』出版する。この赤水図が海外へ持ち出されたのは1780~1784年頃と推定(馬場章教授)
1783年 大清広輿図』完成。
1785年 改正地球万国全図』完成。
1786年 11月 隠居格となる。藩主特命により大日本史地理志』の編纂開始。
1787年 10月 大能牧場の閉鎖。赤水の進言による。
1789年 03月 唐土歴代州郡沿革図(わが国初の折畳式歴史地図)完成。
1790年 この頃蝦夷之図』を作る。
1791年 03月 藩主治保が赤浜の赤水旧宅松月亭を訪問、漢詩を作り賜る。改正日本輿地路程全図』の第2版完成。
1792 正月 礼記王制地理図説』成る。この頃『隠密兵策・赤水老兵法』を書く。
1792 10月 東奥(とうおく紀行(つけたり北越七奇』清槎(しんさ唱和集』を出版。また、愛弟子(まなでし高橋又一郎が正道訓(赤水先生為学入門抄)』を著す。儒仏弁(じゅぶつのべん』(著作年未詳)もある。
1797 夏 江戸小石川と別杯をかわし水戸へ下る。水戸の立原翠軒(すいけん宅にて、立原杏所が肖像画をかく。賛を木村謙次がかく。帰郷。
1801年 07月23日 (太陽暦8月31日)没。25日葬式。知徳院勇健(ゆうごん日照居士

 

 

展望と悲願

国立地図学博物館を誘致しよう

長久保赤水顕彰会会長 大崎宥一 (※初代会長)

 

 最近、古地図ブームとかで種々の発表が行われ、一方現代社会においても、地図が重要な役割をもち、衛星からのハイテク探査で埋没されている遺跡まで発見されるまでになりました。

 外国には地図博物館を持つところが多いのですが(バチカン美術館には地図の回廊がある)残念ながら日本にはそれがありません。

 20年程前から学者達の間に「国立地図博物館設立」の動きがあり、日本学術会議も設立の声明を出しています。幾つかの都市が名乗りを上げ誘致運動をしています。

 当顕彰会も地図学者長久保赤水誕生の地に誘致を考え、市議会に「国立地図学博物館建設促進準備委員会設立」「長久保赤水記念館建設」の陳情を行い採択していただきました。 幸い赤浜から南中郷にかけて丘陵開発の計画があるとのことなので、その中核に博物館を置き、その中に赤水記念館をと考えています。(以下略。会報「飛耳長目」平成7年第9号より)