日本地質学会ホームページ 石渡 明氏(正会員)コラム「地学に名を轟かした水戸藩の長久保赤水の改正日本輿地路程全図」が掲載されています。

日本地質学会のホームページで石渡明氏(正会員)のコラム「地学に名を轟かした水戸藩の長久保赤水の改正日本輿地路程全図」が掲載されています。「赤水図」を読み解いてみたくなるような興味深い内容です。ぜひご一読ください。

寛政3(1791)年の改正日本輿地路程全図(赤水図)第二版(常州 水戸 長玄珠子王父製,浪華 浅野弥兵衛発行,京師 畑九兵衛鐫字)の復刻版(129×83cm)

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「地学に名を轟かした水戸藩の長久保赤水の改正日本輿地路程全図」の全文は以下をクリック。

日本地質学会 – 地学に名を轟かした水戸藩の長久保赤水の改正日本輿地路程全図 (geosociety.jp)

 

その一部をご紹介します。「赤水図」に描かれた活火山の噴煙や山々、「富士山」についても書かれています。

🔷赤水図には各地の自然がよく記入されている.例えば新潟焼山,浅間山,阿蘇山,温泉(雲仙)岳,霧島山などの活火山には山上に噴煙が描かれており(なぜか桜島には噴煙がない),温泉岳には「ヂゴクアリ」と注記してあるが,この地図出版の翌1792年,島原大変肥後迷惑と呼ばれる地獄のような火山災害が起きた.富士山には1707年の噴火でできた宝永山が付記してあり,八ヶ岳は山を8つ並べ,妙義山はギザギザの稜線になっている等,山の形は実物に即している.各地の「富士」も示されていて,岩木山には津軽富士と注記され,松山西方の海中に伊予富士(興居(ごご)島:最近は石鎚山系の高知県境の山を伊予富士と言い,この島は伊予小富士という)が描いてある.🔷

赤水図の出羽湯沢の北の「言語同断」についても書いており、石渡氏は末尾に追記として疑問を調べて掲載しています。

🔷追記:「言語同断」は地名であることがわかった.読みは「てくら」で,現在の秋田県雄勝郡東成瀬村手倉付近を指した.ここは湯沢・横手の盆地から東へ向かう街道が山に入る所で,江戸時代はここに番所があり,「国払い」にする罪人を久保田(秋田市)からここまで役人が護送してきて,国に戻ることは言語道断である旨を言い渡すなどして,国外に追放した ようである.なお,「てくらだ」と読む姓もあるそうである.🔷