東京新聞連載「日本図の変遷〜赤水から伊能へ」   ◆第13回『忠敬、江戸を測る』

東京新聞連載「日本図の変遷〜赤水から伊能へ」
◆第13回『忠敬、江戸を測る』(執筆:平井松午氏/徳島大名誉教授)2023年1月17日(火)掲載。
伊能忠敬は、利根川沿いの下総国佐原村(千葉県香取市佐原)で米穀商を営む伊能家の婿養子でした。忠敬は、49歳で家業を息子に譲り、隠居後、江戸に居宅を構えました。
「忠敬は家業に精勤し、貧民救済や利根川の堤防普請に尽力したことから、名字帯刀を許されている。そうした人物が隠居をして、江戸で幕府天文方の高橋至時(1764〜1804年)に師事して、暦学や天文学などを学び始めたのである。」
「もともと算学や暦学などへの関心が高かった忠敬ではあるが、伊野忠敬50歳、高橋至時31歳の時である。
学問に対する熱意と財力があった忠敬は、居宅に天文方と同じ精度の観測機器を揃えている。」(平井松午氏原稿より)
〇補足説明
◆皆さんが知る【測量による日本図を製作した伊能忠敬】
2地点間の距離を計測し、緯度1分の長さを求めようとしていたわけですが、誤差を小さくして実長により近づけるため、忠敬は、長い2地点間の距離計測を発想し、全国測量へと考えが及びます。
◆幾つになっても学ぶ姿勢は、35歳から情報収集と編集能力を駆使し、20年余をかけ日本図を製作した長久保赤水と重なります。
日本図製作の知恵と技術をバトンする赤水と伊能。今後の連載を乞うご期待!