東京新聞連載「日本図の変遷〜赤水から伊能へ〜」 第17回・伊能忠敬の測量法

東京新聞連載「日本図の変遷〜赤水から伊能へ〜」
◆第17回・伊能忠敬の測量法(執筆:平井松午氏/徳島大名誉教授)2023年2月14日(火)掲載
『伊能忠敬の測量法は「廻り分間」と呼ばれるもので、今日の閉合トラバース測量(多角測量)にあたる。測量地点間の距離と方位角を計測し、一定の縮尺のもとに、測量開始地点と終点とが重なり合うように作図する。当時既に村絵図の作製や境界測量に用いられていた測量法ではあったが、忠敬らの測量範囲は広域に及んだ』(平井松午氏寄稿文より)
【私からの補足】
 実測日本図の伊能忠敬の名は明治時代の教科書にも掲載されましたが、忠敬の名を世に広めたのは、故井上ひさし著『四千万歩の男』(1992年11月4日刊・講談社)の小説だと言われます。
また、過日某TVで伊能忠敬の測量法を大学生グループ協力し、専門家監修により再現していました。
その時に紹介された主な道具は、測量地点に打つ「杭」、そこに建てる「梵天/ぼんてん(目印となる棒)」、地表にある物の位置関係を損なわず距離を測る「鉄鎖」や「間縄」。そしてイメージ画で必ず忠敬が手に持っている「杖先磁石(小方位盤、彎窠羅針/わんからしん)」。先端が半球体型で磁石が仕込まれ、傾斜地でも水平を保つ。歩数を数える代わりの「量程車(引き歩くと動輪の歯車の回転数で距離を測定)」、御用測量方を示す「旗」など。
日本規模の実測と考えると、非常に気が遠くなるような労力と忍耐力だと想像できます。