東京新聞連載「日本図の変遷~赤水から伊能へ」 第22回 開国と「官板実測日本地図」2023年3月21日掲載

◆東京新聞連載「日本図の変遷〜赤水から伊能へ〜」
第22回 開国と「官板実測日本地図」(執筆:平井松午氏/徳島大名誉教授)2023年3月21日(火)掲載
開国以降、より正確な日本地図が求められ、やがては漁業進出や石炭など資源にも目が向けられます。日本の領土や領有権を明確にすることが重要になって行きます。
『1854(嘉永7)年3月に日米和親条約を締結した日本は、英国、ロシア、オランダとも和親条約を結んでいる。開国後、日本を訪れる外国船は詳細な海図を必要としていた。
 そこで英国は61(文久元)年に三隻の測量艦隊で江戸湾周辺の測量を開始したが、慌てた幕府が伊能小図を渡して測量を中止させた。この地図は現在、英国公文書館に所蔵されている。
 他国からも海岸線が正確な伊能図が求められたため、幕府は伊能小図をベースに「官板実測日本地図」の刊行を企図し、63年設置の開成所(のちの大学南校・東京帝国大)から随時出版された。』(平井松午氏寄稿文より)
【補足】
※官板(かんぱん)…江戸時代の幕府が出版したもの。
※開成所…江戸幕府の洋学研究教育機関。 開国前後の対外問題を背景に、幕府は洋学研究・教育や洋書翻訳を任務とする「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」を設け、1856(安政3)年開業。同所は発展に応じて、1862(文久2)年に「洋書調所」、1863年「開成所」と改称した。