長久保赤水の「長久保」の苗字発祥の地、長泉町(静岡県駿東郡)
◆写真は長泉町文化祭(10月)と長窪区民文化祭(11月)に展示し「長久保赤水の紹介」が行われ、「広報ながいずみ11月号」でも紹介。
いずれも「長久保城を広める会」の星屋一浩さんから寄せられました。
《参考》
◆長久保赤水のルーツ
長久保赤水は農民出身ですが、遠祖は大友親頼の三男・長久保親政。 現在の静岡県駿東郡長泉町を領して長久保城主となり、長久保氏を称したとされます。
《参考》
◆長久保赤水のルーツ
長久保赤水は農民出身ですが、遠祖は大友親頼の三男・長久保親政。 現在の静岡県駿東郡長泉町を領して長久保城主となり、長久保氏を称したとされます。
◆『今川・北条・武田・豊臣・徳川にとって重要な意味をもっていた長久保城』
戦乱の平山城で戦略上の要害にあったため、今川氏、武田氏、北条氏、徳川氏がこの城をめぐって争った。発掘により三日月堀(甲州流の築城術)や畝堀(うねぼり・北条氏の築城術)が発見された。城郭は大部分が失われ、わずかに長泉北小学校の正門前の空堀・土塁・曲輪(くるわ)と城山神社境内の曲輪・土塁が残っている。
(ながいずみ観光交流協会発行「長久保城の話」より)