間宮林蔵が1809年に間宮海峡を踏査する19年前に長久保赤水は『蝦夷之図』に、この海峡を書いていた

間宮林蔵が1809年に間宮海峡を踏査する19年前に

長久保赤水は『蝦夷之図』に、この海峡を書いていた

 

インターネット検索で閲覧することもできる北海道大学に残されている長久保赤水の「蝦夷松前図」

北海道大学の「蝦夷松前図」拡大画像は、ここをクリックしてください。

 

長久保赤水は、寛政2年(1790)の74歳頃に、『蝦夷之図』を完成させている。現在、北海道大学と明治大学が、長久保赤水の『蝦夷松前図』を所蔵している。この『蝦夷松前図』を見てみると左上の端に山(さん)丹(たん)(中国、甘(かん)粛(しゅく)省(しょう)河(か)西(せい)回(かい)廊(ろう)の中部にある県。張(ちょう)掖(えき)地区に属す。弱(じゃく)水(すい)の上流にあたる山丹河の造るオアシスに位置し、前漢に刪(さん)丹(たん)県が置かれ、北(ほく)魏(ぎ)に山丹と改められた。)が描かれている。

その対岸に唐太(樺太)島が、本蝦夷地(北海道)の上に描かれている。あまり知られてはいないが、赤水は、日本地図、中国地図、世界地図、中国歴代地図帳を完成させた後に、この『蝦夷之図』を書いている。

赤水は、日本地図に書けなかった北海道をこの地図に書いているのである。

間宮海峡を辞書で調べると、「樺太サハリン島) とユーラシア大陸北満州沿海地方ハバロフスク地方)との間にある海峡。最狭部の幅は約7.3㎞、深さは最浅部で約8m。冬の間は凍結し、徒歩で横断することも可能である。間宮林蔵が1809年踏査、シーボルトが命名した。」とある。間宮林蔵が1809年に間宮海峡踏査する19年も前に、長久保赤水は『蝦夷之図』の中に、すでに、この海峡を書いていたのであった。

 

長久保赤水の「蝦夷松前図」

明治大学図書館所蔵古地図コレクション 蘆田文庫特別展図録(2004年10月2日発行)より