東京新聞連載「日本図の変遷〜赤水から伊能へ〜」 第16回 西日本の御用測量

東京新聞連載「日本図の変遷〜赤水から伊能へ〜」
第16回「西日本の御用測量」(執筆:平井松午氏/徳島大名誉教授)2023年2月7日(火)掲載。
幕府に提出されたされた日本東半部「沿海地図」は、1804(文化元)年9月に第11代将軍徳川家斉に上覧を受けた。その時、伊能忠敬は幕臣(天文方手付)に登用され、西日本の御用測量にあたる。
 師の高橋至時(やすとき)は当初、大坂ー長崎間の測量経験のある間重富(はざましげとみ)に西日本測量を任せる考えであった。しかし、同年1月に至時が41歳で死去し、天文方の役職を継いだ嫡男高橋景保(かげやす)を重富が補佐する必要が生じたため、60歳を迎えた忠敬が西日本測量も担当する事になった。(平井松午氏寄稿文より)
 幕府天文方として精力的に日本地図完成に向けて取り組んでいた伊能忠敬でしたが、1818年4月13日、ついに未完のまま73歳の生涯を閉じました。