『續續長久保赤水書簡集』現代語訳を発行

『續續長久保赤水書簡集』現代語訳を発行

編集 高萩郷土史研究会

発行 長久保赤水顕彰会

257×183mm 2019年11月6日発行 1000円+税

 

長久保赤水顕彰会の副会長の横山功氏が,17年の歳月を費やして発行された集大成ともいえる三冊目の『續續長久保赤水書簡集』を高萩郷土史研究会と長久保赤水顕彰会の皆様方のご協力により,赤水先生の誕生日の11月6日に発行する事ができた。特に,書簡(手紙)は、その人の本心が出るものでもある。

帯原稿を書いていただいた茨城大学の小野寺淳教授は,「横山功氏のたゆまぬ努力によって上梓された『續續長久保赤水書簡集』の本書は現代語訳である。ただし,単に現代語に訳したのみでなく,実は前著の書簡集よりさらに充実した訳注が添えられている。馴染みのない江戸時代の手紙であっても,横山功氏をはじめ,高萩郷土史研究会や長久保赤水顕彰会の皆様方の優れた現代語訳と充実した訳注によって,一般読者にも理解しやすい本になった。まことに喜ばしい。」

さらに裏面では「『續續長久保赤水書簡集』は漢字ばかりでよくわからなかったと思われた方々にも,本書によって赤水先生の人柄と交遊の広さに驚きつつ,ふたたび本書を紐解いていただきたい。多くの方々に,ぜひ一読をお勧めする次第である。いずれの書簡も興味深い内容であり,思わず時間を忘れて通読してしまうであろう。原稿を読ませていただいた私がまさにそうであった。」と紹介されている。

赤水から子どもたちへの父親としての,教育者としての書簡をはじめ,立原翠軒や石川桃渓元などに地図情報を求める書簡などがたくさん掲載されている。

「少しでも余力があれば,読書をして見識を高めれば,知恵も明らかになって,惑いも無くなり,楽しみも又その中にあり,心気を養えるものである。書を読まない者は,富貴の家に生まれても,愚昧故に,万事に疎く、理に暗く、行いは後悔が多いもので、家を全く持ち難い。学問は,眼前には損があるように見えるが,寸陰を偸んで書を読むようにしなさい。さて,書は和漢の軍談,歌書,俳書,醫書等,いずれも便に随い,手あたり次第に多く読むべきである」などと子どもたちを諭している。

また,「近年の内に上様(第六代藩主治保)がお入国(水戸に帰る)なされる。その時までに,その方たち兄弟の合力,世話で,不育の者を育てさせた事,五人も十人も帳面に書き記し置くようにして,私に見せなさい。金子の十両,二十両と費用がかかっても構わない。金子が出来そうもなければ,私の隠居免の田畑の内,一か所宛も売り払ってでもその用立てしたいものだ。必ず今日から心がけ(田畑を売っても)右の仁慈を施しなさい。」とも言っている。

さらに,「稲を盗まれたり、綿を盗まれたりするなどは,施しと同じなので,必ず必ず残念に思わずに,人に盗まれるように多く作っておくようにせよ。すべからず,善い心を起して家業を専一に勤めるようにせよ。これが第一の学問である。大根なども人に盗み引かれるものなので,その分余計に多く作って,人に盗まれるようにせよ。」とまで言っている。

このほか,多くの著名人からの書簡をはじめ、後に彰考館の総裁になった藤田幽谷(東湖の父)からの書簡や赤水と幽谷のやり取りの様子が良く分かる「赤水愚問」や「幽谷封事拾遺」なども現代語訳されている。ぜひ、手に取って一読していただきたい。

 

赤水の「蝦夷之図」と「蝦夷松前図」の

制作時期と時代背景

著者 日本地図学会会員

長久保赤水顕彰会理事 三浦邦明

発行 長久保赤水顕彰会

297×210mm  2019年11月6日発行 非売品

 

長久保赤水の『赤水図』(改正日本輿地路程全図)には,北海道が描かれていない。しかし,寛政元年(1789)頃に,大判の『蝦夷之図』(個人所蔵145.3×172.4㎝)を著わし,後に,小判の『蝦夷松前図』(明治大学蘆田文庫所蔵:25.3×39.6㎝)として出版している事は,殆ど知られていない。

田沼意次時代の天明5年(1785)になって,ようやく江戸幕府は蝦夷地に調査隊を派遣した。しかし,調査差止めで調査隊が戻ってきた時には,田沼意次は,すでに,失脚していていた。このため,幕府は報告書を受け取らなかったといわれている。そんな中でも,調査隊は『蝦夷拾遣』と『蝦夷地墨引絵図』と『蝦夷輿地全図』を残している。

この『蝦夷輿地全図』(函館中央図書館所蔵:130×90.2㎝)には,「天明五年乙巳 御老中田沼主殿頭殿  水野出羽守殿 勘定奉行松本伊豆守 右依御下知廻島見聞之図也」とともに,御普請役の山口鉄五郎高品,庵原彌六宣方,皆川沖右衛門秀道,青島俊蔵軌起,佐藤源六郎行信,御雇の里見平蔵行義,引佐新兵衛正知,大塚小市郎清孝の8人の名前がある。この図は,青島俊蔵の作図で,下役の大石逸平と最上徳内(竿取の役)名前はないが,この二人は青島俊蔵の配下で,両人が作図し佐藤源六郎の名で公儀に報告した素図をもとに書き改めたと言われる図である。また,長久保赤水が書いた『蝦夷之図』には,鈴木清七芳方の名があり9名である。さらに,毛利家文庫の『蝦夷地図』には,鈴木清七芳方,大石逸平直行の10名の名前が残されているが調査当時竿とりの最上徳内の名は出てこない。

蝦夷地の調査隊が作った『蝦夷輿地全図』は,未発刊の地図だ。ところが,長久保赤水が書いた『蝦夷之図』には,名前の後に「この図は、佐藤源六郎より乞需(求め願うこと)之を写した」とある。幕府の命令で蝦夷地に赴き,その結果を世に知らしめたいにもかかわらず,降格処分や,遠島処分などを受けた調査隊が,長久保赤水にその図の出版を依頼したものと推察できる。すでに,『赤水図』を世に出していた長久保赤水以外に縋るところがなかったものと思われる。赤水は,幕府の調査隊の普請役の佐藤源六郎らの報告書である『蝦夷拾遣』と『蝦夷輿地全図』などをもとに,さらに,サイズの大きい手書き図の『蝦夷之図』を書いている。

ところが,赤水の日本地図,中国地図,世界地図,中国歴史地図帳などには,必ず序文,凡例,官許,版元などが記載されている。この『蝦夷之図』は手書き原稿なので,出版にあたっては,版元や著名人に依頼をしなければならない。しかし,蝦夷地の開発計画は,幕府の一部の人たちのものでしかなく,一般庶民の関心を得ることが出来ず,版元の協力も得られず、大判の『蝦夷之図』の出版は断念せざるを得なかったものと思われる。その途中のいずれかに時期に,赤水の原稿が佐藤源六郎らの清書することとなって毛利家に渡り,毛利家文庫が所蔵する『蝦夷地図』となったものと思われる。

その後,赤水は,小判の『蝦夷松前図』を著わしているが,序文,凡例,官許,版元なども記載されておらず,図説も付けられず,赤水の2文字と玄珠の落款,4行の短い説明があるだけである。この『蝦夷松前図』も流布したものの,その数は少なかったようである。蝦夷地の調査隊に出版を乞われた赤水なりの答えがこの『蝦夷松前図』に結実したのではないか。もしかすると,水戸藩にお願いして出版したのかもしれない。

今回,日本地図学会会員で長久保赤水顕彰会理事の三浦邦明氏が,多くの蝦夷地の地図を調査され,令和元年の長久保赤水顕彰会総会で発表されたので,今回,長久保赤水顕彰会でこの論文を冊子にした。『蝦夷之図』『蝦夷松前図』についての皆様方のご意見をお待ちしております。

問い合わせ先  長久保赤水顕彰会 事務局

318-0103 茨城県高萩市大能341 佐川春久

携 帯 090-1846-6849

メール haruhisasagawa@yahoo.co.jp

http://nagakubosekisui.org/

岐阜県立図書館に国際地図展やってくる!地図が展示

12月18日(水)から12月27日(金)まで開催します。

皆さん、この機会に岐阜県立図書館に足を運んでみませんか!!

世界の地図が展示されます。

長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』の巨大レプリカが展示されます!

長久保赤水顕彰会の会員の皆様も、

この機会に5倍に拡大したタペストリー赤水図をご覧いただければ、幸いです。