東京新聞連載『日本図の変遷~赤水から伊能へ』 第4回「実学から生まれた赤水の地図作り」執筆:小野寺淳氏/2022年11月1日掲載

日本地図の製作者・長久保赤水(81歳)は、水戸藩江戸上屋敷の小石川藩邸から故郷常陸国赤浜村(現高萩市赤浜)の松月亭に戻ります。間もなく1801(享和元)年7月23日に85歳で死去。その10日後、伊能忠敬が東日本の海岸線を北へ向かい測量の途中、赤浜村の砂丘列にある赤水の墓に墓参しました。
「ともに天文学を基礎にしつつ、風土記など文献や地図を精緻に考証した赤水図から、測量による正確な日本沿岸の伊能図への転換が交差した、まさにその瞬間であった」(小野寺淳氏・放送大茨城学習センター所長)
👉クリック、連載第4回を拡大