毎日新聞・いばらき「館」を歩く
高萩市歴史民俗資料館(長久保赤水記念館)
伊能より早い「赤水図」(令和6年6月29日掲載)
長久保赤水は、江戸時代の地理学者で日本地図の製作者。赤水の名と業績が近年人々に認知されるようになりました。
同資料館は、今春から「長久保赤水記念館」の愛称となり、館内には「赤水図」や肖像画、手書きの資料等を展示し、その生涯を伝えています。
□JR常磐線高萩駅から徒歩約15分
□入館料/無料
□休館日/原則月曜日
赤水の生誕地・高萩市赤浜は太平洋の大海原に面した風光明媚な地です。ぜひご来館いただき、実際の赤水資料をご覧ください。赤水が見ていた景色にも触れていただけると思います。
▼以下は記事概要です。
「伊能図」で知られる伊能忠敬より40年以上も前に、日本初の経緯線を入れた日本地図を作製・発刊した。幕末には吉田松陰が「これがないと不自由」と記して旅に携行。近年では2020年にこの地図を含む赤水関係資料693点が国指定重要文化財となり、翌21年には中学社会科の教科書に赤水と伊能の地図が並んで掲載された。
赤水は1717年に現高萩市赤浜の農家に生まれ、早くに両親を亡くしながら儒学や天文学、地理学を学び、30代半ばから日本地図を描き始めた。52歳(数え年、以下同)でその功が認
められ水戸藩の郷士格(武土待遇)となり、61歳で水戸藩第6代藩主・徳川治保の侍講(教師)に。68歳で「改正日本興地路程全図」(赤水図。興地は大地や地球の意)の初版を、第2版を75歳で完成させ、85歳で亡くなった後も、明治期までの約100年間に5版を数えるベストセラーとなった。
「伊能図」の完成は1821年だが、国家機密だったため明治になるまで世間に出回らなかった。