東京新聞連載「日本図の変遷~赤水から伊能へ~」 第11回 酒井喜煕の「皇国総海岸図」(執筆:小野寺淳氏)2022年12月20日掲載

東京新聞連載『日本図の変遷~赤水から伊能へ』 第11回 酒井喜煕の「皇国総海岸図」執筆は小野寺淳氏(放送大茨城学習センター所長)2022年12月20日(火)掲載

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酒井喜煕は(さかいよしひろ)、1805(文化2)年、水戸藩二百石取り中士格の酒井家に生まれる。37(天保8)年。32歳の時、「関八州輿地路程全図」を江戸の版元、須原屋茂兵衛・須原屋伊八・須原屋佐助・永楽屋東四郎・須原屋安次郎から刊行した。…(中略)… 「皇国総海岸図」も「関八州輿地路程全図」も編集図ではあるが、余白に記された(喜煕が書いた序文には、疑問が生じると実際に調べに出かけ、それができない場合にその土地の出身者に尋ねて作製したことが記されており、長久保赤水の実証性を継承している。彼の息子は明治期の地図製作者となり、その一人酒井捨彦の息子は近代日本画壇の大家 横山大観である。(小野寺淳氏)

※「関八州輿地路程全図」1837(天保8)年刊行 ※「皇国総海岸図」1855(安政2)年には海防との関係で海岸線を描写した「皇国総海岸図」を編集。藩主斉昭(幕府参与)に献上、将軍に献上された。