東京新聞連載「日本図の変遷〜赤水から伊能へ〜」 🔶第21回 シーボルト日本図(執筆:平井松午氏/徳島大名誉教授)2023年3月14日(火)掲載

東京新聞連載「日本図の変遷〜赤水から伊能へ〜」
🔶第21回 シーボルト日本図(執筆:平井松午氏/徳島大名誉教授)2023年3月14日(火)掲載

皆さんに良く知られているシーボルト事件は、1828(文政11)年、長崎オランダ商館勤務医の外科医、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、禁制の日本図を国外に持ち出そうとした事件です。
翌年、シーボルトは国外追放。また、日本図を渡した幕府天文方の高橋景保(かげやす)は死罪。日本図作製に関与した者も江戸払いや遠島処分を受けています。

持ち出そうとした『日本図(カナ書き特別小図)』は、長崎奉行所に役収されました。
【シーボルトはこの地図を持ち帰ることができなかったにもかかわらず、40年にシーボルトが出版した『NIPPON』には、このカナ書き日本図をベースとした東北以南の日本図が収載されている】(平井松午氏寄稿文より)

【役収されたはずのカナ書き日本図の地図情報をシーボルトがどのように持ち帰ったのか、長らく不明であったが、近年、長山宏夫氏(国立歴史民俗博物館名誉教授)らがその謎を解き明かしている。
それによれば、カナ書き日本図は、海岸線は縮尺86万4千分の1の伊能特別小図、国界線は長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」などを参考に作図されていて、これを写した5点の紙片(模写図)が、シーボルト末裔のドイツのフォン・ブランデンシュタイン・ツェッペリン家に保管されている。シーボルト事件発覚直前に、カナ書き日本図の輪郭や国界線を急いで写し取ったとみられる】(平井松午氏寄稿文より)

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寄稿挿入写真は、江戸〜長崎間の参府ルートも描いた『シーボルト日本図』(ライデン大学図書館蔵)
❇︎『伊能忠敬の地図作製』233ページから転載。