茨城県高萩市の松岡城主となる中山氏の祖「中山信吉」について、8月21日付け茨城新聞『いばらき春秋』に掲載されていますのでご紹介します。
水戸藩初代藩主の徳川頼房は、気が強く、素行も悪かったことから、その先行きを案じた父・家康が、お目付役の水戸藩附家老に任じたのが中山信吉です。
◆中山信吉
1590年、時の権力者である豊臣秀吉の小田原城攻めが行われました。小田原城の出城の一つであり、戦国時代最大の山城であった八王子城。城主は北条家四代当主・北条氏政の弟、氏照です。小田原城につめていた城主・氏照に代わり留守を守り、かつ秀吉配下の前田・上杉の大軍の総攻撃に面しても最後まで戦い抜いたのが中山勘解由家範でした。
その武勇、主君北条氏への忠義を伝え聞いた家康は、落ち延びていた家範の二人の子を探し出して召し抱えました。長男は照守、そして次男が後に高萩市の松岡城主となる中山氏の祖・信吉です。(高萩市ホームページより)