令和6年度 民間経済団体による一日も早く「国道6号勿来・関本バイパス」を開通する会 総会】にて記念講演を開催しました。
主な内容は以下の通り多岐に渡り、当日は国土交通省・関東地方整備局や東北地方整備局の所長・副所長、内田広之いわき市長、平岩邦弘双葉町副町長、豊田稔北茨城市長、大部勝規高萩市長を含む約70名が参加しました。
〇開催 令和6年6月17日(月)
〇演題 「その先を往け! 日本地図の先駆者 長久保赤水」
〇演者 佐川春久(長久保赤水顕彰会 会長)
〇会場 「八幡台やまたまや」(いわき市植田町)
〇講演内容
▶︎常陸風土記「日立市の助川から福島県双葉郡大熊町までが、風土記に書かれている【高の国】」(*主催する参加自治体が過去に同じ歴史を共有している)
▶︎東奥紀行「湯本温泉泊、赤井嶽の龍燈。勿来の関。平城」の記載内容など
▶︎松岡七友(現在の北茨城・日立市・高萩市)
鈴木玄淳(下手綱村医者)、僧宿雲(大塚村西明寺住職) に代わり1730年頃から長久保赤水(赤浜村農民)が加わる、大塚祐謙(石岡村修験)、大塚玄説(石岡村医者)、柴田平蔵(木皿村農民)、福地充宣(友部村医者)、朝日祐誠(諏訪村修験)
▶︎長崎行役日記「野口家の姫宮丸の漂流」
▶︎長久保赤水の名と「赤水図」が令和4年度から教科書に掲載
▶︎「赤水図」が海城中学の入試に登場
▶︎日本経済新聞「鎖国下 海渡った日本図」
…その他…
◇参考『常陸国風土記』について
風土記は,和銅6(713)年に出された詔により,それぞれの国司が国内の風土についてまとめたものです。この詔には,
1 郡・郷の名前に好い字をつけよ
2 郡内の特産品を列挙せよ
3 土地の地味の肥沃な状況を記せ
4 山川原野の名前の由来を記せ
5 土地の伝承を記せ
とあり,全国からこの内容に従って報告書を提出させた。しかし,現存する風土記はわずかに常陸・播磨・出雲・豊後・肥前の5か国のものだけで,完全な形で残されているのは出雲のみ。
「常陸国風土記」の成立は,養老年間(717~724)に完成したとされ、その編者には,その当時,常陸国の国司として赴任していた藤原宇合、協力者は高橋虫麻呂と考える説が有力です。*藤原宇合は,大化の改新の中心人物中臣鎌足の孫。
*添付画像は大部勝規高萩市長提供
常陸風土記には、多珂国は、日立市助川町から福島県双葉郡大熊町の熊川までとの記載がある。
その後、白雉4年(653年)に多珂郡と石城郡の2郡を置いた。大化改新(645年)以前は「高」、奈良・平安時代は「多珂」、中世以降は「多賀」と表記されていたことを説明した。つまり、本日の参加者は、皆、同じ歴史を持っていることを説明した。
左から大部勝規高萩市長、佐川春久長久保赤水顕彰会会長、内田広之いわき市長