江戸時代の「琉球国之図」と「赤水図」の関わりについてご案内いたします。  以下は安里 進さん(沖縄県立芸術大学名誉教授)からのご報告です。

江戸時代の「琉球国之図」と「赤水図」の関わりについてご案内いたします。
 以下は安里 進さん(沖縄県立芸術大学名誉教授)からのご報告です。
 琉球王国の測量術と地図製作の研究をしています。
 1796年に製作された琉球王家旧蔵「琉球国之図」や沖縄県立図書館所蔵「琉球国之図」(重要文化財)が,地域の色分けなどで「改正日本輿地路程全図」(赤水図)の影響を受けているのではないかと考えておりましたところ,この度の日本地図学会の現地巡検で,赤水図の実物を直に見ることができました。
 江戸時代の琉球王国は,日本の異国(外国)でした。両国の間では人々の自由な往来が制約されていましたが,徳川将軍や琉球王の代替わりの際に,慶賀使や謝恩使として琉球から100名内外の一行が,300~500日の行程で,薩摩から瀬戸内海を渡り大阪から江戸までの「大和旅」をしていました。その間に,様々な文化交流や情報収集があり,赤水図の情報も入手したと思われます。
 「琉球国之図」の製作者と考えられているのが琉球の測量家・高原景宅(たかばる・けいたく)です。高原は,その著書『量地法式集』(1785年)のなかで,江戸時代の測量家・村井昌宏の『量地指南』(1754年)を引用しているので,赤水図の情報も入手していた可能性は高いとみています。
 大和旅から帰った琉球人が,赤水図の情報を高原に伝えたのか,さらには、赤水図を持ち帰り高原に手渡したのか,また,どの版の赤水図だったのか,など具体的な研究はこれからですが,いただきました赤水関係資料をもとに分析を進めたいと考えております。
また、このご報告につきましては、長久保赤水顕彰会のFacebookにも掲載しました。長久保赤水顕彰会FacebookのURLも添付いたします。
◼️長久保赤水顕彰会では、赤水が製作した「赤水図」等に関する、皆さまからの情報や資料提供をお待ちしております。
○長久保赤水顕彰会 会長・佐川春久
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