◆令和6年12月1日(日)開催
「飯能市文化財保存活用地域計画」
文化庁長官認定記念シンポジウムのご案内
「文化財を地域の宝に」
〜歴史文化を活用したまちづくりを目指して〜
飯能市では、貴重な地域遺産を残し、価値を知り、いかす取組みを進めるために「飯能市文化財保存活用地域計画」を作成し、令和6年7月19日に文化庁長官から認定を受けました。
この計画を広く市民の皆様に知っていただくと共に、市民総がかりで地域遺産を保存・活用し、観光や地域づくりに活かしていくためのはじめの一歩として、シンポジウムを開催します。
令和6年12月1日(日)
▷時間:13時30分~16時30分
(13時00分 開場)
▷会場:飯能市市民会館小ホール
(所在地/〒357-0063 埼玉県飯能市飯能226−2)
▷(注)事前申込制
【申し込み方法】
◇添付画像チラシに掲載の二次元コードからお申し込みください。
◇入場無料 定員250名
《飯能市ホームページ 》
◆松岡城主(現:高萩市)中山氏の祖・中山信吉
(中略)その武勇、主君北条氏への忠義を伝え聞いた家康は、落ち延びていた家範の二人の子を探し出して召し抱えました。長男は照守、そして次男が後に高萩市の松岡城主となる中山氏の祖・信吉です。
◆徳川光圀(水戸黄門)を水戸藩の二代目藩主に選んだ水戸藩附家老
ドラマでも全国民に知られる水戸黄門こと徳川光圀ですが、光圀が水戸藩の藩主となるうえで大きな役割を果たしたのが、この中山信吉(水戸藩の附家老)です。
家康はそれら三家、九男義直を尾張に、十男頼宣を紀州に、十一男頼房を水戸に配置しました。しかしまだ彼らは幼少のため、これら三人に信頼できる家臣を付けました。これらのうち「五家」と称され、別格の「附家老」として位置づけられたのが、尾張徳川家の成瀬氏と竹腰氏、紀伊徳川家の安藤氏と水野氏、そして水戸徳川家に付けられた中山氏です。
彼ら附家老の果たした役割について、小山譽城氏は次のように解説しています。
「彼らは三家の内部で幕府のために働き、時には幕府と三家との潤滑油となって摩擦を未然に防ぎ、藩主を補導・監督する職務によって藩政を主導する存在であった。そのため、幕府にとっては幕藩体制の要石である御三家をコントロールする上で付家老の存在が不可欠であり、政治的に極めて利用価値が高い存在であったといえる」
(小山譽城 2006『徳川御三家付家老の研究』清文堂,p.58)
立場上藩内の家臣でありながら、幕府が全国を治めていくうえで附家老たちの役割はとても大きなものだったことがよくわかります。(高萩市ホームページより転載)
高萩市ホームページ