《茨城新聞 2024年11月24日掲載)
赤水の軌跡や功績紹介
高萩で特別展 地図や墨跡55点
高萩市出身の地理学者、長久保赤水(1717~1801年)の関連資料が並ぶ特別展「赤水の世界」が、同市高萩の市歴史民俗資料館で開かれている。赤水が制作した国内外の地図や自画像、自らの教えを記した墨跡、天文学書など貴重な資料55点を展示し、赤水の軌跡や功績が俯瞰できる。12月8日まで。
赤水は同市赤浜の農家に生まれ、下手綱にあった医者の鈴木玄淳の私塾で学問に励んだ。35歳ごろから地図の制作に取りかかり、1779年に日本で初めて経緯線の入った日本地図「改正日本興地路程全図」(赤水図)を完成させた。
同図は赤水没後も版を重ね、庶民に愛用された。赤水図を含む関係資料693点は2020年に国の重要文化財に指定されている。(*以上、茨城新聞掲載紙より転載)
《参 考》
◆江戸時代の地図づくり 集めた赤水・歩いた伊能
◇「日本地図」制作で長久保赤水と比較される伊能忠敬(1745〜1818)は、江戸時代、日本国中を測量して周り、初めて実測による日本地図を作成した人物。伊能忠敬の日本地図「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」は、1821年(文政4年)7月10日に完成した。
第1次測量は、寛政12年(1800) 55歳で、東北・北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行った。忠敬は73歳で亡くなるが、没後、弟子たちによって地図作成が引き継がれ、幕府に上呈された。彼の没後3年にして日本全図は完成した。
◆ゼンリンミュージアム(福岡県北九州市)が今年1月13日から開催していた企画展のタイトルをご覧いただくと、日本地図制作に情熱を注いだ長久保赤水と伊能忠敬の特徴がわかりやすい。情報収集と編集能力に長けた赤水、測量図を作成した忠敬。
【地図作りの“技術と情熱”に触れる企画展 江戸時代の地図づくり
集めた赤水・歩いた伊能】