東京新聞連載『日本図の変遷~赤水から伊能へ』 第8回「下北半島は鳶口型か斧型か」執筆:小野寺淳氏/2022年11月29日

東京新聞連載『日本図の変遷~赤水から伊能へ~』 第8回は「下北半島は鳶口型か斧型か」というテーマで小野寺淳氏(放送大茨城学習センター所長)が書いています。2022年11月29日(火)掲載

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「かつて、地図史研究の大家、秋岡武次郎氏が同一の刊行年でありながら、赤水図には下北半島の図形に鳶口型と斧型があることをいち早く指摘した。(中略)しかし近年、『流宣図と赤水図』(アルス・メディカ)を著した海田俊一氏は、安永版の赤水図は十三回も部分修正が行われたと指摘し、飛び抜けて多いことが注目されいる」(小野寺淳氏)

赤水の日本図製作は、携行しやすい折りたたみ式形状を取り入れたり、地図情報を明確に満載するなど、利用者の利便性を第一に考えていました。細部にこだわる学者魂と最新情報へのアップデートを行う姿勢からも赤水の人柄が偲ばれます。交流が深かった古川古松軒(地理学者)と川村寿庵(医師)からの情報や指摘を受けると、すぐに大坂の版元に連絡し埋め木による修正を行ったとのこと。古川古松軒らへの信頼感があってこそ真摯に修正ができたのでしょう。

版木の修正部分を切り抜き、埋め木(入木)をして上下左右を合わせながら彫りなおしますが、木材だからこそできる技といえます。現代印刷の修正とは比較にならない難儀な工程です。1779(安永8)年に完成、翌年春に大坂で刊行された「改正日本輿地路程全図」を安永版「赤水図」と呼んでいますが、刊行年を同じにして十三回の修正は突出しています。

高萩市や当赤水顕彰会HP(ギャラリー)、web検索サイト上にたくさんの「赤水図」を見ることができます。また、赤水図のレプリカや古地図に出会う機会がありましたなら、「これは鳶口型?それとも、古川古松軒らの指摘を受けた後の斧型?」と意識しながら地図を眺めてみると面白いかも知れません。