東京新聞連載『日本図の変遷~赤水から伊能へ』 第9回「疑問!常陸国と下総国の国境」執筆:小野寺淳氏/2022年12月6日(火)掲載

東京新聞連載『日本図の変遷~赤水から伊能へ』 第9回「疑問!常陸国と下総国の国境」執筆:小野寺淳氏(放送大茨城学習センター所長)/2022年12月6日(火)掲載

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長久保赤水が武士の身分では上の門人・立原翠軒に宛てた書状「小貝川、鬼怒川の地理的疑問につき」(茨城県立歴史館所蔵立原家文書)について、小野寺淳氏は次のように書いています。
 
『伝来する江戸幕府撰元禄国絵図(国立公文書館所蔵)で示すと、北から鬼怒川沿いであった国境が、ある所から小貝川沿いになっている。この理由は、常陸国と下総国の境は謄波ノ江(とばのえ)とかつて呼ばれ、「鬼怒川と小貝川が合流して一つの流れをなしていたためではなかろうか」と赤水は疑問を抱き、これを確かめるために立原翠軒に書簡を送ったようである。』
 
『赤水の日本図作製は、常陸国に限らず、日本の地理に関する様々な疑問を巻き起こしたのかもしれない。』と最後に結んでいます。
長久保赤水は、疑問を抱くと詳細を自分自身で調べ情報収集し、地図製作に編集を重ねていく能力に秀でていました。
 
◆私からの補足
記事に登場する「謄波ノ江(とばのえ)」ですが、「謄波ノ江駅」(関東鉄道常総線の駅)や小学校名などにも現存します。かつて茨城県下妻市北東部から筑西市にかけて存在した湖の名に由来するようです。別名「鳥羽の淡海(とばのうみ)」とも。ニ千年ほど前、鬼怒川は下妻市比毛辺りで小貝川と合流。運ばれた土砂に堰き止められ誕生した湖。
 ぜひ、スマホや現代地図で、鬼怒川や小貝川の流路を辿りながら、探してみてください。