おらんだ正月
- 江戸時代の科学者達-
森銑三
冨山房百科文庫 20
(一 ~ 五二)の中の、
一七 農家から出た地理学の大家長久保赤水(ながくぼせきすい)が掲載されていました。
江戸時代の日本にあって、後世の急速な近代化の礎石ともなった、多くの実学を志した人々のうちから、特に科学者を中心に選び出し、平易な語り口で説いた伝記52篇から成るもの。名著と世評高い当文庫旧版の改訂新版。写真図版多数収載。(解題・富士川英郎)
冨山房
1978年10月9日 第1刷発行
1996年7月27日 第3刷発行
xiv 312p 人名索引vi 口絵(折込)
新書判 並装 カバー
定価1,236円(本体1,200円)
装幀: 辻村益朗
画装: 瀨川康男
本書「凡例」より:
「本書は、昭和十三年八月、旧冨山房百科文庫版として初版刊行された。その後数次の改訂を経ているので、今回の新版発行に際し、本文は、中央公論社版『森銑三著作集』所収の「おらんだ正月」を底本とした。若干の訂正箇所がある。」
「漢字・かなづかいは、それぞれ新字・新かな表記に改めたが、用事・送りがな等についてはおおむね底本のとおりである。(中略)人名・地名・書名等の固有名詞のほか、難読と思われるものにルビを補った。」
「図版に関しては、旧冨山房百科文庫本の体裁に準拠したが、若干の異同がある。」
「「人名索引」を巻末に付した。」
口絵図版(モノクロ)2点(「おらんだ正月を祝う人々(「芝蘭堂新元会図」)」および「「伊能小図」(部分)」。本文中図版(モノクロ)76点。
画像
目次:
解題 (富士川英郎)
凡例
序
一 牛に乗って外へ出た仙人のような医者永田徳本(ながたとくほん)
二 大貿易家で大土木家を兼ねた角倉了以(すみのくらりょうい)
三 一派の鍼術(しんじゅつ)を興した検校(けんぎょう)杉山和一(すぎやまわいち)
四 奥羽(おうう)に水路を開き畿内(きない)に河を治めた河村瑞賢(かわむらずいけん)
五 博物学者としてもすぐれていた貝原益軒(かいばらえきけん)
六 関流算法(せきりゅうさんぽう)の祖と仰がれる関孝和(せきたかかず)
七 わが国に本草学(ほんぞうがく)を開いた稲生若水(いのうじゃくすい)
八 対島(つしま)全島の猪(いのしし)を狩尽(かりつく)した陶山訥庵(すやまとつあん)
九 湯熊灸庵(ゆくまきゅうあん)とあだ名せられた大医後藤艮山(ごとうごんざん)
一〇 荒川(あらかわ)・多摩川(たまがわ)・酒匂川(さかわがわ)を治めた田中丘隅(たなかきゅうぐう)
一一 師匠の墓の前で花の詩を読上げた松岡恕庵(まつおかじょあん)
一二 武士を捨てて町医者となった戸田旭山(とだきょくざん)
一三 日本全国に甘藷(かんしょ)を拡めた青木昆陽(あおきこんよう)
一四 乞食の病気まで見てやった御医師(ごいし)望月三英(もちづきさんえい)
一五 わが国で始めて人体を解剖した山脇東洋(やまわきとうよう)
一六 万病一毒の説を唱えた古方医家(こほういか)吉益東洞(よしますとうどう)
一七 農家から出た地理学の大家長久保赤水(ながくぼせきすい)
一八 二十三年間に二十三回稿本を書改めた三浦梅園(みうらばいえん)
一九 わが国洋学界の一大恩人前野蘭化(まえのらんか)
二〇 蘭化を助けて解体新書(かいたいしんしょ)を翻訳した杉田玄白(すぎたげんぱく)
二一 石の長者といわれた石の蒐集家(しゅうしゅうか)木内石亭(きのうちせきてい)
二二 戦術まで研究した地理学者古川古松軒(ふるかわこしょうけん)
二三 わが国電気学の祖平賀源内(ひらがげんない)
二四 世界的の大植物学者小野蘭山(おのらんざん)
二五 独学で西洋暦学(れきがく)を修めた麻田剛立(あさだごうりゅう)
二六 同心(どうしん)の子から暦学者となった高橋東岡(たかはしとうこう)
二七 質屋の主人で暦学者だった間長涯(はざまちょうがい)
二八 始めて日本の実測地図を作った伊能忠敬(いのうただたか)
二九 わが国砲術界の革新者阪本天山(さかもとてんざん)
三〇 大坂の生んだ博物学者木村蒹葭堂(きむらけんかどう)
三一 医術の修業に全国を漫遊した橘南谿(たちばななんけい)
三二 ロシア人までその名を知っていた桂川甫周(かつらがわほしゅう)
三三 一生に九回蝦夷地へ渡った最上徳内(もがみとくない)
三四 オランダ流の内科を興した宇田川槐園(うだがわかいえん)と同榛斎(しんさい)
三五 蘭学(らんがく)を拡めた大功労者大槻磐水(おおつきばんすい)
三六 始めてオランダ語の辞書を作った稲村三伯(いなむらさんぱく)
三七 寒中水泳まで試みた兵学者平山行蔵(ひらやまこうぞう)
三八 独力で星雲説を唱えた物理学者中野柳圃(なかのりゅうほ)
三九 命がけで眼科医術のために尽した土生玄碩(はぶげんせき)
四〇 北海の探検家で書誌学者だった近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)
四一 四十余歳でオランダ語を修めた帆足万里(ほあしばんり)
四二 太陽の黒点を観測した鉄砲鍛冶国友一貫斎(くにともいっかんさい)
四三 樺太(からふと)から東満州(ひがしまんしゅう)までも探検した間宮林蔵(まみやりんぞう)
四四 満州語まで研究した地理学者高橋景保(たかはしかげやす)
四五 通詞(つうじ)から幕府に召出された語学の天才馬場轂里(ばばこくり)
四六 辛苦の末に西洋医の大家となった坪井信道(つぼいしんどう)
四七 西洋の植物学や化学を伝えた宇田川榕庵(うだがわようあん)
四八 西洋兵学をわが国に取入れた鈴木春山(すずきしゅんさん)
四九 シーボルトの高弟として知られた岡研介(おかけんかい)
五〇 洋学者中で最も悲惨な最期を遂げた高野長英(たかのちょうえい)
五一 洋学者・科学者としての佐久間象山(さくましょうざん)
五二 農家から出て幕府の奥医師となった伊東玄朴(いとうげんぼく)